クロード・モネ - Claude Monet - を知る


▽クロード・モネ - Claude Monet -

 モネやシャガール、ゴーギャン、ゴッホといった名前を聞いたことはあるはずです。でも、名前だけが先行して彼らの生の作品に直接触れる機会なんてほとんどないのが当たり前。でも、日本でもクロード・モネの作品を常設で展示してある美術館がこの直島にある地中美術館です。

 世界で愛され続け印象派を代表するフランスの画家クロード・モネ。光の画家と呼ばれたモネの代表作『睡蓮』のシリーズを含む全5作品を香川県直島町にある建築家・安藤忠雄さん設計の地中美術館で観ることができるんですよ。写真は絶対に撮っていけないことになっています。持ち込みすら不可です。さらに、この地中美術館のチケットセンターからエントランスまでの坂道にあるのがモネの自身が造った庭園をもとに、モネの作品や資料から選んだ約150種類の草花と約40種類の樹木でできた『地中の庭』を歩いくことで実際にモネが見て描いたであろう景色を一緒に体験することもできるんです。。

 ▼クロード・モネ - Claude Monet -の直島作品▼

クロード・モネ - Claude Monet -の直島作品
作品名制作年素材サイズ※1
『睡蓮』1914-1917油彩200×200cm-
『睡蓮 - 草の茂み』1914-1917油彩200×213cm-
『睡蓮 - 柳の反映』1916-1919油彩100×200cm-
『睡蓮の池』1917-1919油彩100×200cm-
『睡蓮の池』1915-1926油彩各200×300cmの2枚組-

※1:☆サイトスペシフィック・ワーク

 ▼クロード・モネ - Claude Monet -のBiography▼

クロード・モネ - Claude Monet -のBiography
西暦経歴
1840フランス、パリのラフィット街に生まれる。
1845ノルマンディー地方のセーヌ川河口の街ル・アヴールに移住する。
1857コレージュを退学し、このころからダヴィッドの弟子だった地元の美術教師フランソワ=シャルル・オシャールに師事。
1858ル・アヴールで風景画家として活躍していたウジェーヌ・ブーダンと出会う。
現存する最初の油絵『ルエルの眺め』(埼玉県の丸沼芸術の森所蔵、埼玉県立近代美術館寄託)を描く。
1859フランス、パリに移住する。
1860アカデミー・シュイスに入学し後の印象派の仲間となるピサロらと出会う。
1862シャルル・グレールのアトリエに入り、シスレー、バジール、ルノワールらと出会う。
1865サロンに『オンフルールのセーヌ河口』(パサディナ、ノートン・サイモン財団)と『干潮のエーヴ岬』(フォートワース、キンベル美術館)の2作品を初出品し、2点とも入選する。
1866サロンに『緑衣の女』と『シャイイの道』の2作品を出品し、2点とも入選する。
1867『緑衣の女』のモデルになったカミーユ・ドンシューとの間に長男ジャンが生まれる。
1870普仏戦争が勃発し兵役を避けるためロンドンに翌年の5月まで滞在した。
1871数か月のオランダ滞在を経て、秋にはパリに戻り、12月に郊外のアルジャントゥイユい移住する。
1878年初めまでの約6年間をアルジャントゥイユで過ごし、約170点もの作品を残している。
1873ピサロ、シスレー、ルノワールらと「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他による匿名協会」を結成する。
1874パリのキャピュシーヌ大通りにある写真家ナダールのアトリエで「匿名協会」の第1回展を開く。後に「第1回印象派展」と呼ばれる。
この第1回展にモネは油絵5点、パステル7点を出品している。
1876第2回印象派展に18作品を出品している。代表作『ラ・ジャポネーズ』も出品された。
1877第3回印象派展に30作品を出品している。
1879第4回印象派展に29作品を出品している。
妻のカミーユが32歳の若さで死去する。
1880サロンに出品して1点が入選、1点が落選している。
1883パリの西約80qの郊外にあるジヴェルニーに移住する。ここには睡蓮の池を中心とした「水の庭」や「花の庭」がある。
1880年代フランス各地に頻繁に旅行して作品を制作している。
1つのテーマをさまざまな天候や季節、光のもとで描く「連作」が中心となってくる。
1895デュラン=リュエル画廊での個展で『ルーアン大聖堂』連作の30点のうち20点が展示された。
1899-1926ジヴェルニーの庭にある睡蓮の池をモチーフに200点以上もの作品を描いている。
1890年代『睡蓮』には岸に生える柳の木や、池に架かる日本風の橋をモチーフに描かれている。
1900年代『睡蓮』は水面で覆われるようになり、水中の茎や水草、水面に映える空や耳目の反映が描かれている。
晩年『睡蓮』には白内障を患ったこともあり、限りなく抽象的な絵が描かれている。
192686歳の生涯を閉じる。
1927『睡蓮』の大壁画は正式にフランス国家に寄贈される。

 ▼クロード・モネ - Claude Monet -のArt Work例▼

クロード・モネ - Claude Monet -のArt Work例
作品名制作年収蔵先
『印象・日の出』1873マルモッタン美術館(フランス、パリ)
『キャピュシーヌ大通り』1873ネルソン=アトキンス美術館(カンザスシティ)、プーシキン美術館(モスクワ)
『日傘を差す女(モネ夫人)』1875ナショナル・ギャラリー(ワシントン)
『ラ・ジャポネーズ』1875ボストン美術館
『サン=ラザール駅』の連作1877-
『サン=ドニ街、1878年6月30日の祭日』1878ルーアン美術館
『積み藁』の連作1888-1891-
『積み藁 霜の朝』1888-1889ヒル・ステッド美術館(コネチカット州ファーミントン)
『積み藁 夏の終わり』1890-1891シカゴ美術館
『積み藁 日没 雪の効果』1890-1891シカゴ美術館
『ポプラ並木』の連作1891-
『ルーアン大聖堂』の連作1892-1894-
『ルーアン大聖堂 夕暮れ』1892-1893個人蔵
『ルーアン大聖堂 昼』1892-1893オルセー美術館
『ルーアン大聖堂 朝』1892-1893フォルクヴァング美術館(エッセン)
『睡蓮』の連作1899--
『睡蓮の池と日本の橋』1899ナショナル・ギャラリー(イギリス、ロンドン)
『国会議事堂』1900-1901シカゴ美術館
『国会議事堂』1902ナショナル・ギャラリー(イギリス、ロンドン)
『国会議事堂』1904オルセー美術館
『睡蓮』1906シカゴ美術館
『睡蓮』1907イスラエル美術館
『睡蓮』1907ブリヂストン美術館
『睡蓮』1908個人蔵
『睡蓮』1914-1917地中美術館(日本、香川県)
『睡蓮 - 草の茂み』1914-1917地中美術館(日本、香川県)
『睡蓮』1915ノイエ・ピナコテーク(ドイツ、ミュンヘン)
『睡蓮 - 柳の反映』1916-1919地中美術館(日本、香川県)
『睡蓮の池』1917-1919地中美術館(日本、香川県)
『睡蓮』1920-1926オランジュリー美術館
『睡蓮の池』1920年頃地中美術館(日本、香川県)
『睡蓮』1920年頃ナショナル・ギャラリー(イギリス、ロンドン)
『印象・日の出』1873マルモッタン美術館